旧サイト拍手ログ3


1.

革靴で踏むざりざりとした音を掻き消す、暑さを助長させる虫の声。
木陰で陽の光りは遮られているが、梅雨特有の湿り気で、不快感は増すばかりだ。
べたつく肌に密着する衣服が煩わしい。
撫でていく風も、およそ心地良いとは言えない生温さである。
目指す場所に人の気配は無い。
また異なった不快感が胸中を巡る。





まるで数歩先とは別次元であるかのような、涼しげな清流。
薄い夏着一枚を身に纏い、大腿まで深く沈む辺りまで進むと、持っていた水汲み用の桶一杯に水を入れて頭から一気に被った。
汗で張り付くのとは違い、冷たい川の水で濡れた生地は生温い風をも冷やし、結果涼しくなる。
長い黒髪からポタポタと滴る水。
肌を伝って流れる水。
二、三首を振ってそれらを払う。

「見てはならん物を見ている気分だな」

声のした方を一瞥して、ざぶざぶと川辺へ引き上げる。
完全に上がる前に水を汲んだ桶を外套の傍らに置いて、未だ多量に水を含む髪や赤い夏着の裾を絞った。

「お前もやったらどうだ。お前もこの暑さに滅入ってる口だろう」

全身が濡れているせいで、一枚着ているとはいっても体の線がはっきり表れている。
筋肉や骨の凹凸も綺麗に覆われ、濡れた髪は若い表情を更に幼く見せた。
そこに艶やかさが並行してある辺りが、この男のこの男たる所以でもある。

「気持ちいいぜ」

張り付く前髪をかき上げて。
梅雨の暑さから解放された笑顔が男に向けられる。

「……もっと気持ち良くなる方法を知ってる」

幾筋も水が伝う顎を引き寄せる。
吸った唇も、頬に当たる黒髪も、思ったより冷えていて心地が良い。
触れた所から徐々に服が湿っていく。
自分も早く冷やされたいと思った。

「…んっ?!」


───バシャンッ!!


「いっ───…ってぇ!てめっ、石あんだろうが!!いきなり足払うな!!」
「俺に水浴びを勧めたのはお前だ」
「今水を浴びたのは俺だけのようだが…」

今居る所は浅瀬だが、横になれば体の半分は浸かり、流れがあるために全部が水に覆われる箇所もある。
男の足を払った際に石で頭を打たぬよう後頭部に添えた手を抜く。
膝を付いて覆いかぶさる形でもう一度口付けようとするが、寸前で顔に水がかけられた。

「…何しやがる」
「熱くなっちまったら意味無ぇだろ?」

ニッと髪の長い男が笑った瞬間、視界が反転して背中から川に沈んだ。先程の男と同じように石であちこち打っている。

「へっ、いい面になったじゃねぇか。これで頭も冷えただろう」

ポタポタと滴を垂らし、男に馬乗りになって顔を見下ろす。
自分と同じ目に遭わせた事で、童子のように笑っている。

「フン…お前こそ、なかなかいい恰好だ」

ほぼ体の線そのままと言っていい腰の辺りに、撫でながら手を添える。
不自然な厚みに気付いて一瞬眉を寄せたのを、馬乗りになる男は見逃さなかった。

「付けてんに決まってんだろボケ」

チッと舌を打てば鼻を摘まれる。
それから漸く逃れたかと思えば、また性懲りもなく引き締まった臀部や内股辺りをまさぐり始める。
赤を捲って覗いた腿に直接手を這わせると、上の男が僅かに震えたがすぐ手で制止された。
代わりに顔が近付いて濡れた髪が触れる。
だがそれ以上間が縮まらないので痺れを切らし、自ら引き寄せて先程よりも長く咥内を貪った。
直に聴こえる川の流れと、それとは明らかに違った水音を聞き分ける。

「……んぐっ!」
「当たってんだよさっきから」

ぐいっとそこを押された拍子に唇が離れ、赤い着物の男が立ち上がる。
半端に捲くられたまま足に張り付く裾が何処か卑猥だ。

「涼みに来てんのに何考えてんだか」
「お前のせいだ。責任取って貰おうか」
「俺はお前程暇じゃない」

川から上がり、適当に水を絞る。
上体を起こしてその様を見ていると、水を汲み直した桶を持ち上げた男が声を掛けた。
白外套を引っ掛け、桶を持っていない方の手には来る時に履いていたと思しき袴。



「ま、冷える為には熱いのが心地良いかも知れねぇがな」



男は意味深げに笑みを残し、未だ水に浸かる男が何の反応も示さぬ内に外套を翻し山道に消えた。
程なく理解した男は飛沫を上げながら立ち上がり、一度深い所まで進んで頭を勢いよく沈ませた。
火照る全身に川の水が浸透する。だが治まる筈もない。治める気など端から無い。
上がる途中で上を一枚脱ぎ、流れ続ける水を切ることもせず、後を追う為足早に来た道を戻る。

これで暫くは、欝陶しい梅雨の暑さなど気にする事も無いだろう。
湿気を帯びた風も、その量を上回る衣服を掠めていけば涼風。
虫の声も、何処か遠くで聞こえていた。








2.


裾を捲くられ、ヒュッと息を吸い込んだ。
いつまで経っても慣れないものだ。そんな時が果たして訪れるのだろうかとも思う。
脚を閉じようとするも弱い力で阻まれ、それに思わず従ってしまい本気ではない事が見透かされた。
足元から覗く金色の双眸と、生意気な口が笑う。顔を背けたくなるようなばつの悪さが襲った。
既に先刻剥ぎ取られた袴が目に映る。無造作に除けられたそれは抵抗の証。途端にカッと赤くなる。
そんな己の顔を見られていないかと視線をやれば、案の定の笑顔。恥ずかしさが極限に近付くほどに、眉間に力が入ることを初めて知った。
触る事など少ない大腿の内側を、白い布地に覆われた手が這う。
自分がこれほどの恥辱を受けているというのに、相手は衣服をきっちり着込み、その手すら見せていないと思うと腹立たしさが募った。
いつも気付けば自分だけが脱がされているのだ。
奥に滑り込もうとするそれを払う。されるがままになっていた相手の抵抗に少し不審に思ったようだが、引き下がる様子でもない。

「お終い、だ」

さすがに戸惑ったらしい。この男得意の嫌味な笑顔が消えている。
火が点きかけた身体を無視して裾を直せば、今度は逆にこちらが腕を掴まれ寝床に縫い付けられる。

「俺のをこんなにしといて何言ってやがる」

いや、それはお前の勝手だろう。
…なんて事を強く言えた立場ではないが、腕力で押し返して寝床の外へ転がしてやった。
熱を押し付けられ、不覚にも身体の奥が疼いたという事実は伏せておこう。付け上がるのを見るのはうんざりだ。
とにかく向こうの態度に余裕が見れるような内は、自分の気が治まらない。
背後で舌打ちが聞こえたが気にしない。その気にさせておいてお預けを食らい頭にきているだろうが、いざとなったら自分の方が有利であるためその意味ではこちらが余裕である。
だが。

「…何休んでいる。これから始まるんだぜ?」

釦とかいう留め具を上から片手で一つずつ外し、跨がられた頃には脱ぎ捨て既に眼が臨戦状態。
自分のそれよりは細いが、しっかりと筋肉のついた力強い腕が身体を押さえ付けた。
ドクンと下肢が跳ねそうになるのを藻掻いてごまかし、だが上着を脱いだ相手に少々満足しつつ口付けを受け入れる。
珍しく既にその気になっていた身体は、そのぬるりとした感触に打ち震えた。頭がジンとする。

「止めたいのかその気なのか、はっきりして欲しいもんだな」

濡れた唇を「白」の指が拭う。水分が綺麗に奪われていく感覚と、その手はこの男のものだという紛れも無い実感。その白い手に、自分は抱かれているのだという実感。

「止めたいと言ったところで聞く耳を持たん奴が何言ってやがる。さっきので確認済みだ」

分かって貰えたならいいと笑った口で、手に嵌めた布を噛んで引き上げる。
あっと口をついた声に動きを止める腕。だが実際動きが止まったのは、それを掴む自分の腕のせい。
咄嗟の事態に互いに何も言えずに固まった。
噛んでいた口を離して怪訝そうな目で見つめられる。どうしたと問われても、よもや答える事など出来ない。
手袋さえ外さない事に腹を立てた自分。だが、ずっとその手袋が嵌められたまま与えられる愛撫の感覚がふと脳裏に甦り、外されるのがつまらなく感じたなどと誰がこの性悪に言えるだろう。

「これがどうかしたか?」

手袋を示され、はっと手を離した刹那、今度は手首を掴み返されて視線が交わる。

「お前がこれを好きだとは知らなかった」

常なら自分が作るような笑みを、この男にされるようになって妙に癪に障る。
自分がするのはいいが他人にされるとこうも腹立たしいものかと、受け身になって痛いほど理解した。

「何言ってる。おめでたい奴だ、……ッ!」
「ふっ、望み通りにしてやろう」

耳の下辺りに指を差し込み束になった髪を梳かれる。たったそれだけで背筋がゾクリとするような───期待感。
微かに視界に入る白に鼓動が速くなるのを感じ、目を閉じたところへ何度も執拗に指が這い、同じ数だけ唇が下りてくる。
自然、息も上がる。

「さぁ、愛らしい姿を見せろ」

瞬時に走る手の痛みに自分が奴を殴ったのだと気付いた。血は出ていないようだが、拭う仕種をしながら懲りずに覆いかぶさってくるのを自ら引き込んだ。
こうなってしまえば、もう己の思ったままに従った方が楽になれる。

「…期待してるぜ」
「なら殴るな…」

引き込まれた事への多少の驚きを表しながら、愈々男の手が胸や下肢を辿り始める。
再び蘇るゾクゾクとした感覚を楽しみながら、相手が見ていない隙を狙ってささやかに笑みを零した。